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細胞が過去に受けた刺激や日常の経験などの環境要因は、細胞の記憶装置であるエピジェネティク
スで記憶される。東京大学 定量生命科学研究所 分子神経生物学研究分野では、この細胞の記憶装
置であるエピジェネティクスが個体の記憶装置である脳で果たす役割を研究している。
最新のゲノム解析に必要な生化学、分子生物学、バイオインフォマティクス技術と、脳機能の解析
に必要な遺伝学、神経科学技術を組み合わせることにより、エピジェネティクス解析から脳の不思議
を理解することに取り組んでいる。そしてこの研究は、加齢やストレス、精神疾患などによる脳の機
能変化のメカニズムの理解に寄与することが期待される。

導入の背景
岸准教授は、紙の実験ノートを使っていた際には目次を作成し、後からでも必要な情報に対するアクセスが確保できるよう工夫をしていた。しかし、紙の実
験ノートでは検索面で制限があり、特に自身のノートではなく卒業した指導学生のノートとなると必要な情報にたどり着くまでに多大なる時間が掛かる、若
しくは正しい情報にアクセスが出来ているのか確証が取れなかった。
また、類似実験や繰り返し実験の頻度が高い分子神経生物学研究分野において、実験記録の手書きによる記載は負担が大きく、効率化を図りたい点であ
った。更に、昨今研究インテグリティ・セキュリティの重要性が上がっていることから、研究記録として重要な“変更履歴の管理” も必要度を増していること
も後押しし、電子実験ノートシステムを研究室全体で使用することを検討し始めた。
導入ポイント
電子実験ノートシステムは、以前所属していた研究室でも検討をしていた。当時は、オンプレミス型の電子実験ノートシステムが主流だったが、一研究室
で導入・使用することは難しい金額であった。しかし現在では、様々なクラウドアプリケーションサービスの利用が可能になっている。
電子実験ノートシステムの検討時には、既にクラウド版の多機能メモアプリやストレージサービスを使用していたため、クラウドアプリケーションが検討候補
となった。Benchling やOneNote なども検討した上で、“Signals Notebook” を選択した。以下3 点をベースとして、『実験プロトコルのコピーによる効率
化が図れるシステム』が導入ポイントであった:
1)提供環境の信頼性や継続性 2)確実な履歴管理 3)分かりやすい画面と直感的な使用感
クラウド型電子実験ノートシステムのメリットとして、岸准教授は以下の点も挙げた。「紙の実験ノートでは確認や編集のために研究室から持ち運ばないと
いけませんが、クラウド型実験ノートシステムであれば、どこからでもアクセス、確認、編集作業が可能です。」
利用の状況

以前より、顕微鏡の画像や分析機器から出力される生データはクラウドストレージで
管理を行っていた。電子実験ノートシステムの導入後も、生データの管理は今まで
の運用から変えず、実験情報管理として電子実験ノートシステムを活用した。
現在では研究室の全員が使用し、情報の共有に繋がっている。「あらかじめSignals
Notebook で実験プロトコルを計画し、実験室ではスマートフォンからそのプロトコ
ルを確認しながら実験を進めています。また、実験の条件の記録として写真をスマ
ートフォンで撮り、Signals Notebook にアップロードして管理をすることもあります。」
と岸准教授は話した。学生によっては、計画した実験プロトコルを印刷して実験室に
持ち込んでいたり、手元のメモ帳に走り書きしておいた後にSignals Notebook に転
記したりと、各自が様々な方法で研究情報を集約している。
また、各Notebook はグループに対して閲覧権限で共有がなされており、各自のノ
ウハウが埋もれることなく、研究室全体の知的財産となる運用が実現されている。
効果と成果
実験記録の電子化により、過去研究の網羅的な検索、類似実験や繰り返し実験の情報のコピーができ、記録に関する作業時間は平均15% 削減された。
岸准教授は「作業時間の短縮と同じ位、心身的なストレスの軽減に繋がりました。」とも話した。
定量生命科学研究所では、仮眠室を始め、一時休息やリフレッシュするためのストレッチスペースなど研究環境設備が充実している。研究室の『完全なる
ペーパーレス』はスッキリとした研究室というだけでなく、働く場所の自由度にも繋がっている。また、Signals Notebook の直観的で分かりやすい画面と
操作性は、電子化へ移行するハードルを下げ、利用促進にも寄与している。「現場の水平展開が容易である点は、研究時間を奪われない大きなメリットです。」
とも話した。
今後の展望
研究室全体でSignals Notebook の活用が進む中で、今後はテンプレート機能を使用した実験記録の標準化と、更なる効率化を図っていきたいとのことで
あった。また、各実験機器などの生データはUSB を経由し、各個人の端末、クラウドストレージへ保存しているが、実験機器から自動的に指定のストレー
ジに保存され、且つ電子実験ノートシステムと連携するシステムを構築することが理想的な運用になると述べた。
岸准教授の研究室では、Signals Notebook を単なる個人の記録ツールとしてではなく、研究室全体の知的資産を管理し、研究のマネジメントツールとして、
今後も活用を深めていく。
本事例作成に関し、岸 雄介 准教授のご協力に感謝いたします。
(インタビュー:2025 年10 月)
※所属・役職は取材当時のものです。